榮昌庵について

 榮昌庵は、曹洞宗の古刹・大乗寺の大智禅師が延元元年(1336)頃、富樫家の帰衣庇護を得て吉野谷村(現在御仏杉のみ残る)に開山した祇陀寺にさかのぼる。祇陀寺は長享二年(1488)富樫が加賀一向一揆に滅ぼされてからは衰退、また天正八年(1580)織田信長と一向一揆との戦火の折、伽藍は悉く消失してしまった。 

ajiro-kasa 延宝七年(1679)大乗寺の月舟禅師が、大乗寺の支院泉野六斗林(野町三丁目)にある永昌院を祇陀寺として再興、宝永六年(1709)始めて祖山道霖を住職とした。その後祇陀寺は移転し、天明元年(1781)長く空虚となっていた祇陀寺の遺址に直應見性尼が大乗寺の下寺として「直指庵」を創建。明治三年、直指庵を廃止し、永昌院を襲名、永を栄、院を庵とし「栄昌庵」と改称。ご本尊は「十一面千手観世音菩薩」(俗称「積除の観世音」)。

 ある時、長年病気の夫が、医者の薬を飲んでいても利き目がなく、夫の病気が平癒するよう祈念したところ、病気が全快した。これは「積除の観世音」のお慈悲の賜物だとそのお礼に、明治二十三年金沢市西町四番町の土地が栄昌庵に寄進された。この地は、最初は大乗寺の出張布教場となり、後に大乗寺の塔頭・高安軒の旧建物が移築された。榮昌庵縁起には、「大正四年榮昌庵の什器を全て六斗林より西四番町に移転する」とあり、翌年現在地へ移転、今日に至る。

 

  名 称 榮昌庵 えいしょうあん
  所在地 石川県金沢市西町4番丁14番地  交通案内
  電話&FAX 076-221-7208
  宗 派 曹洞宗(禅宗)
  大本山 永平寺(福井県)  總持寺(神奈川県)
  施 設 本堂・永代納骨壇
大広間・書院・出世地蔵尊堂 等
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